ご訪問ありがとうございます。
紫縁(しえん)デザインのいしだゆうこと申します。
お稽古サロンを開かれている方を、
「シンプルで見やすく、伝わるデザインを通じて、素敵なご縁をご提供する」
をモットーにWebデザイナーとして活動をしています。
フリーランス、副業、リモートと色々な働き方が広がり、
Webデザイナーも増えました。
それ以前に、制作会社様などで、
10年、20年と長くなさっているベテランの方がいらっしゃいますよね。
確かに私は、1フリーランスでしかないですが、
私の制作したデザインを見て、
お客様の元にいらっしゃった方々と、良きご縁にお繋ぎできることを、
強く願ってやみません。
それは、小学校時代に教えて頂いたピアノの先生との印象深い思い出があるからです。
私がご縁があったのは音楽でしたが、それ以外のジャンルでも共通していると思います。
下記も読んで頂けましたら嬉しいです。
ピアノ教室へ入会
ピアノ教室へ入会
音楽教室に初めて入る時、母に、
「ピアノバンバン!!っていう先生より、優しいお姉さんな感じの方がいいね」
と言われたことを覚えています。
本当に一番初めの先生は優しくて、楽しくて、
「ピアノが楽しい」そんな風で通っていました。
ソルフェージュ(音楽理論)も教えて頂いていましたが、
友達と遊ぶ時間を犠牲にて、1日に何時間も練習するとかは全くなかったです。
実力派の厳しい先生との出会い
実力派の厳しい先生との出会い
小学校5年生に上がった時、
「私が教えられるレベルではないから他の先生を紹介します。」と言われました。
よくよくお聞きすると、
ショパンコンクールで入賞歴があるすごい実力をお持ちな上、
練習をしてこない生徒に「帰りなさい!」と門前払いする厳しい方だと・・・。
ある程度覚悟をして、その先生の元に通うことになりました。
一気に難しいレベルの曲に変わり、技術的な面、音楽的な面、とても厳しくなりました。
しょっちゅう怒鳴られたり、物凄い音でピアノを叩かれたりしました。
「このくらい一度で直せるでしょう?!」
「その音、まだダメ!(自分で考えさせる)」
しまいには、「もう付き合ってられないわ!!」
と帰り支度を始められてしまったことも・・・。
泣きながら辞めていく子もいましたが、
負けず嫌いな私は、「悔しい!絶対に来週ギャフンと言わせるんだ!」と、
自宅で猛練習の繰り返しでした。
責任重大な発表会
責任重大な発表会
そんな中で迎えた発表会。
小学生部門でトリを務めることになってしまったんです。
「(他の先生と話し合って決めたんだから)責任重大ですよ!!」と先生。
プレッシャーは自覚していなかったのですが、
本番は悔いが残る出来でした。
舞台袖の奥で往復ビンタでもされる覚悟でしたが、
爆発寸前のところを一生懸命我慢されているご様子でした。
負けん気だけで成果を発揮した発表会。その後
負けん気だけで成果を発揮した発表会。その後
その翌年。1学年下の上手な子と選曲が被ってしまったんです。
「負けるわけにはいかない!」ものすごく燃えました。
きっと先生は、「去年が良くなかったから、負けん気でやらせよう」
と、考えたのだと思います。
発表会までの3ヶ月間、負けん気だけで努力し、
完璧ではなかったものの、今できる力は十分に出せたのを感じました。
舞台袖に戻った時、先生が目に軽く涙を浮かべて、
「すごく良かった。よく頑張った。」と頭をポンポンしてくださいました。
その後、先生に好きな男の子の話を聞いて頂いたり、
ショパンコンクールの時の楽譜を見せて頂いたり、
距離が縮まりました。
それでも時には、
「つきあってられないわ!」と怒鳴られた事もありましたが、
発表会での成功体験で以前とは違っていたことは確かです。
突然のお別れ
突然のお別れ
冬の終わりと春の訪れを感じる2月末。
ご家庭の事情で、お辞めになることを知りました。
突然のこと過ぎて驚きましたが、最後のレッスンの後、こう言われました。
「もう教えることは全て教えた」
「私が好きでこの仕事をしているから、
音楽を今まで以上に好きになってくれて嬉しい。」
この時に初めて、音楽家にさせる方向性でレッスンをされていたことを聞かされました。
(そちら方面には進みませんでしたが。)
また、お手紙まで頂きました。
帰宅後に開くと、「出逢えて良かったと思っています」とありました。
厳しかった先生との突然の別れに対して、
喜びや安堵の感情は全くなく、感謝の想いで涙が溢れました。
学校生活までも・・・!
学校生活までも・・・!
今までは体育と技術家庭科が「2」とどんくさい上、口が達者な方ではなかったので、
心無いことを言われたり色々あった私が、
全校合唱の伴奏のお話を頂きました。
散々スパルタ系の先生に厳しい指導を受けて、
力をつけた自信があったので、お受けしました。
曲を覚える段階から全く苦労がなかったので、
結局、1年間務めさせて頂きました。
卒業式のとき、父兄の方、来賓の方がいらっしゃる
絶対に失敗が許せない場でも完璧にやり遂げました。
音楽活動の中、一番大変で、一番最高のステージ
音楽活動の中、一番大変で、一番最高のステージ
大分飛びますが、社会に出てからも音楽を続けました。
生徒同士で合奏や飲み会をするお教室、
アマチュアオーケストラの活動で、
沢山の先生方、仕事にされていなくても志の高い方々と出会いました。
相変わらず、チャレンジ精神と継続力だけで音楽をしていた中、
とんでもない大役を務めることになりました。
ヴィオラパートのトップ(首席奏者のこと)です。
大学のオーケストラ活動やヴァイオリンの勉強が全くないので、
心配に思う方、少なくなかったです。
メインの曲が、シベリウスの交響曲2番と難解な上、
独特な雰囲気があったりと音楽的にもとても難しいので、無理ないです。
初めの時に当時の団長さんから呼び出され、
「今回の曲は難しいから頑張ってください!」
と厳しめな雰囲気でお話がありました。
所属していた団の演奏会は、素人の発表会ではなく、
きちんとお客様にお聞かせできるものとして開催しているので、
厳しい時は厳しいのだと受け止めました。
「絶対に半年後(演奏会本番)、やり遂げるぞ!」と強く誓いました。
指導に来て頂いた指揮者の先生、
他の弦楽器パートのトップの方、
同じヴィオラパート内の先輩方、賛助出演の方・・・、
沢山の方に支えられながら、本番を無事に務めることができました。
指揮者の先生と握手をさせて頂いた時、
「今日はとても良かったよ。また一緒に(演奏)やろうね!」
と言われた時のお顔を、今でも覚えています。
厳しかったピアノの先生との出会いがなかったら、
こんな素晴らしい経験もきっとできなかったと感じます。
今も、これからもずっと・・・
今も、これからもずっと・・・
35歳の時に胸郭出口症候群を発症したので、
今は楽器とは無縁の生活を送っています。
しんどい時は、シベリウスの2番を聴いて、
自分自身を奮い立たせています。
特に、Webデザインの仕事で涙が溢れるほどの時は、
脱衣所でシベリウス2番をかけて、聴きながら入浴してます。
音楽に限らず習い事、お稽古は、人との出会いを通して人生が豊かになるものだと思います。
また、何を始めるにも遅いものはないことを、
Webデザインの場でお知り合いになった方々から教えられました。
今43歳。まだまだこれからの私ですが、
デザインを通して、先生方のところに見えた生徒さんとの出会いで、
多くの方が色々な思い出を作りながら、
豊かで充実した人生を歩めることを、心より願っています。